『親鸞聖人ご消息(しょうそく)』は、親鸞聖人がご門弟に宛てて書かれたお手紙にお遇いさせていただくご縁をいただきました。

こちらのお手紙には、親鸞聖人が80歳からの晩年の頃、ご門弟たちの間で教えの上で大変な問題がおきてしまいそのことについて親鸞聖人が詳しく詳しく、何度も何度もお手紙で正しい教えをお書きになってお説きになっておられます。

大変な時代を生きられたのだと生々しく拝察できます。しかしながら、親鸞聖人は、そのような苦境の中でも、ご門弟にあてられたお手紙の中のお言葉なかに、どこまでも謙虚でおられ、どこまでも丁寧でおられ、とこまでも真摯でおられたご姿勢に感銘いたしました。

例えば、第10通

目も見えず候ふ。なにごともみなわすれて候ふうへに、ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ。『浄土真宗聖典註釈版』757頁

(現代語訳:年老いて目も見えなくなってきました。何についても忘れがちになり、また人にはっきりと説き示すようなことができるような身でもありません。『親鸞聖人御消息 現代語訳版』38頁)

第15通

なにごともなにごとも、いのち候ふらんほどは申すべく候ふ、また仰せをかぶるべく候ふ。この御文みまゐらせ候ふこそ、ことにあはれに候へ。なかなか申し候ふもおろかなるやうに候ふ。『浄土真宗聖典註釈版』770頁

(現代語訳:いろいろなことについて、命のある限りはお伝えしようと思います。また、そちらからもお便りをいただきたいと思います。この度のお手紙を読ませていただいたことは、本当にうれしい事です。どれだけ申し上げても到底いい尽くすことができません。『親鸞聖人御消息 現代語訳版』60頁)

第17通

ところせきやうにうけたまはり候ふ。『浄土真宗聖典註釈版』772頁

(現代語訳:大変困っておられるとお聞きしました。『親鸞聖人御消息 現代語訳版』63頁

第23通

御文くはしくうけたまはり候ひぬ。さてはこのご不審しかるべしともおぼえず候ふ。『浄土真宗聖典註釈版』780頁

(現代語訳:お手紙を詳しく読みました。どうしてこのような疑問をお持ちになるのかわかりません。『親鸞聖人御消息 現代語訳版』76頁)

第25通

~(中略)別のことはよも候はじとおもひ候ひしに、御くだり嬉しく候ふ。『浄土真宗聖典註釈版』783頁

(現代語訳:とりわけ問題ないであろうと思っていたところ、何事もなく鎌倉からお帰りになったとのことで、うれしく思います。『親鸞聖人御消息 現代語訳版』80頁)

第43通

よくよく念仏そしらんひとをたすかれとおぼしめして、念仏しあはせたまふべく候ふ。『浄土真宗聖典註釈版』808頁

(現代語訳:念仏を謗る人が救われるようにとお思いになって、互いに念仏していただきたいと思います。『親鸞聖人御消息 現代語訳版』119頁)

親鸞聖人ほどのご立派な方であるのに、とにかくお弟子に対して、深く苦しい内容であっても、敬語又はていねい語をはずされないお姿に、自分の家族やご門徒さんへの態度を反省するとともに、深く深く感銘せずにはおれません。

善了寺 坊守