「ごはん粒がいっぱい残ってるよ!もったいない!」
「全然食べてないじゃん、もったいない!」
8歳の娘と5歳の息子がいるわが家の食卓には、この「もったいない」という言葉がたびたび飛び交っています。
子どもたちに苦言を呈しながら、自分も、母や祖母によく叱られていたことを思い出します。茶碗の端にごはん粒を残していると、「お百姓さんが悲しむよ」と口酸っぱく言われたものでした。
幼いころの私は「お百姓さんだってちょっとくらい手を抜くこともあるんだから、1粒残しても許してくれるはずだ」という不思議な理屈を唱えていましたが、逆の立場になるとつい口を出してしまうのが親というもののようです。
さて、今回はこの「もったいない」という言葉にまつわるエピソードをご紹介したいと思います。
「もったいない」の精神を語った蓮如上人
「もったいない」という言葉自体は仏教用語ではありませんが、一つ一つのものを大切にする仏教の精神をよく表している考え方と言ってもいいでしょう。
この言葉が広く親しまれるようになったのは、浄土真宗の教えを広めた蓮如上人のこんな逸話がきっかけといわれています。
あるとき、上人は廊下で落ちている紙切れを見つけました。彼はその紙を拾い上げ、「仏法領(阿弥陀仏より恵まれたもの)を粗末にするのか」と語ったそうです。1枚の紙切れであっても、与えられたものとして、大切に扱わなければならない、と。
この小さな出来事からも、すべてのものに対する感謝の気持ちや、決して無駄にしないという思いを感じることができますね。
ケニア人女性から広まった「MOTTAINAI」というスローガン
この「もったいない」という言葉が、「MOTTAINAI」というスローガンで世界に発信されていることをご存じの方も多いかもしれません。そのきっかけを作ったのは、ノーベル平和賞を受賞したケニア人女性の環境活動家、ワンガリ・マータイさんです。
彼女は2005年に日本を訪れた際、「もったいない」という言葉に強く感銘を受けたと語っています。日本人が抱く「もったいない」精神は、当時すでに環境保護を目指す言葉として浸透していた「3R」の概念以上のものを言い表しているというのです。
つまり、「もったいない」という言葉には、「Reduce(リデュース/減らす)」「Reuse(リユース/再利用する)」「Recycle(リサイクル/再生する)」という3つの原則に加え、あらゆるものに敬意を払う「Respect(リスペクト/尊敬する)」の気持ちが含まれている、と彼女は解釈したのでした。
彼女が提唱した「MOTTAINAI」という言葉は、今でも、持続可能な循環型社会の実現を目指すスローガンとして掲げられています。
「ありがたい」と思う気持ちが「もったいない」を思い出させる
このように、すべてのものに敬意を払う「もったいない」の気持ちがあれば、毎日の暮らしが少し豊かになるような気がします。
食事を前にして手を合わせ、いただきます。
食事をすべて食べ終えたら、ごちそうさま。
この当たり前の振る舞いの中にも、「もったいない」精神の根底にある思いやりが根づいているのではないでしょうか。食材・つくり手・季節の移ろいや環境を含め、すべてのものに対する深い感謝と敬意が、手を合わせる瞬間に宿っているような気がします。
今日も美味しく食事をいただけて、ありがたいな。
こんなに新鮮なものを食べられるなんて、ありがたいな。
バタバタと過ごす日常の中においても、時折そんな風に感じ取ることが大切なのだろうと思います。
今を丁寧に過ごさないと「もったいない」
新米が出回り始め、旬の食材がずらりと並ぶ実りの季節。
わが家ではどういうわけか、食事の時間となると子も親も騒がしくなってしまいますが、せっかく美味しい食材も増える秋です。
「もったいない」の精神を思い出し、家族ともども、今この瞬間を丁寧に味わいたいと思います。
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ライター:間宮まさかず
京都市在住。妻、8歳の娘、5歳の息子と暮らしています。
子育てにまつわるエピソードや、暮らしの中で大切にしたい想いなどを綴っていきたいと思っています。