- 人・暮らし
- 2023年8月26日
夏休みの終わりに思うこと|いつだって想定外は起きるから。
最近ニュースが大げさだなと思うことがある。「過去最大級」「災害レベル」「未曽有の」とか、当事者になる前から体が委縮するような言葉たち。心構えしていればまだしも、無防備な心にパンチのある言葉が直撃すると、それなりに翻弄される。私たちは「いつもと同じ」「例年通り」「想定内」に安心するようにできているから。
日本は予定通りに事が運びやすい国だと思う。電鉄会社は朝の電車が1分でも遅れれば遅延を謝罪する。労働者のストライキで電車が丸1日動かないなんて、日本では聞いたことがない。停電、漏水の問い合わせには業者さんがすぐに駆けつけてくれる。クリスマス休暇で年末年始に3週間も連絡が取れない人は、日本ではまずいない。本当に有難いことに、それぞれが律儀に役割を全うしてくれているからこそ、先の見通しが立ちやすい環境に暮らすことができている。
けれど、この予定調和に慣れすぎると生命力が弱っていくと感じることがある。そもそも大人になると子どものときと比べて新しい経験と出会う事が少なくなる。自分で経験していなくても見たり聞いたりした事が増えるし、積極的に新しい事に挑戦しなくても日々の生活は成り立つことが増える。贅沢な悩みかもしれないけれど、予定通り、想定内が続くと閉じていく感覚があると思う。
ところが、保育や介護の現場では「そうきたか!」と思うことにしばしば直面する。
子どものポケットからダンゴムシがわんさか出てきたとか。
運転中の送迎車の後部座席で全裸になる認知症のおばあちゃんとか。
些細なことから、緊急を要することまでいろいろと。
想定外過ぎて一瞬固まることもあるけれど、その現実を受けとめて次の一手を投じるしかない。正解はひとつという教科書的な世界ではない。対応方法は人の数だけあって、その時その場の最善策をひねり出している。いや、最善かさえわからないけれど、試行錯誤するしかない。そんな時、ちょっと生命力が活性化する感じがするのよね。
私はたまに寄り道をしたくなる。仕事と家の往復を直線的に繰り返していると文章が書けなくなるから。敢えていつもと違う道を使って、いつもと違うお店で買い物をしたり、ぼーっと日が暮れるのを眺めたりする。そんな時間に新しい着想がおりてくることがある。
外から急に飛び込んでくる「想定外」に翻弄されないためにも、意図的に「いつもと同じ」じゃない事をつくるのは有効だと思う。経験の幅が広い方が、「想定外」にいちいち動じなくなるというか、深刻になりすぎなくなるというか、受けとめる器が大きくなると思う。
いきなり大きく変えなくてもいい。幾分かだけいつもと違うことをしてみる。電車を一駅前で降りてみるとか、ズボンをスカートに変えるとか、違う刺激が入ると緊張したり、わくわくしたり、心が動く。
心が堅くなっていると、外からの衝撃でポキっと折れてしまう。風になびく草のようなしなやかさを持ちたい。同時に、台風にも吹き飛ばされないように、根っこは深くしっかり地面に繋がっているのも大切なことなんだよな。
寄稿者 ほりえりえこ
湘南在住。小学生の娘と暮らしてます。今を大切に。日々のなぜ、なに、どうしてを大切に。心が動いたこと、子どもに伝えたいことを書いています。