「耳なし芳一」等で知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、著書「日本の面影」で日本人は微笑みが特徴的であると記しています。
日本人の微笑は、当初は魅力的なものなのである。ところが後日、その日本人の同じ微笑が、異常な状況において、例えば苦痛とか、恥辱とか、落胆などの場合においても、同様の微笑が見られたりすると、そこで初めて、外国人は日本人に不審の念を抱くようになるのである。
中略
日本の子供なら、生まれながらにして備わっている、微笑を生む暖かい心根は、家庭教育の全期間を通して養われる。微笑は、お辞儀や手をついてする丁寧なお辞儀と同じように教えられる。
相手にとっていちばん気持ちの良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれている人たちに対しては、いつもできるだけ、気持ちの良い微笑を向けるのがしきたりである。
明治の日本に降り立った外国人ラフカディオ・ハーンにとって、日本人はいつも微笑んでいるように見えていました。彼は日本人の微笑を人間関係における思いやりとして考察しました。
例えば、初産の子供を亡くした母親が、葬式ではどんなに激しく泣くとしても、もし彼女があなたの家の女中であったとしたら、微笑を浮かべて、子どもの死を報告するだろうと思われる。
しかしこの笑いは、自己を押し殺しても礼節を守ろうとする、ぎりぎりの表現なのである。この笑いが意味しているのは、「あなた様におかれては、私どもに不幸な出来事が起こったとお思いになりましても、どうぞ、お気を煩わされませんようお願いいたします。失礼も顧みず、このようなことをお伝えいたしますことを、お許しください。」という内容なのである。
実際その状況に立たされたとき、果たして自分がどのように振舞うかはわかりません。けれども、ラフカディオ・ハーンのいうように、私たちが微笑を生活の中で随所に織り交ぜてコミュニケーションを円滑にしようとしていることは、納得がいきます。
怒られた瞬間笑って空気を和ませようとしたり、自分の感情をごまかすために苦笑いをしたり・・・。この微笑の使い方が日本人独特なの?とむしろ驚くくらいに、当たり前に使っていました。
さあ、皆さんはどんな場面で微笑を使っているでしょうか。
「新編 日本の面影」ラフカディオ・ハーン 株式会社KADOKAWA 2000