- 住職のつぶやき
- 2021年11月3日
カマキリとバッタとそしてサンマみんな食欲の秋
庭のお気に入りの植物が何日か前から虫に食べられて繊維だけが残されるようになりました。誰が食べているのかな~?と観察すると、大きなカマキリさん発見。「あらあら・・・。まあ、いっかあ~、もうすぐ冬だし沢山ゴハン食べておきたいんでしょ。許してあげよう」と、我ながら珍しく優しい気持ちでカマキリさんを見逃してあげようとしたところ、なんとまぁ、そのカマキリさんは、バッタさんを食べていたのです。ヒョエ~~。私の葉っぱを食べていたのはバッタさんでそのバッタさんをカマキリさんが仕留めたのかと思うと、急に残酷に思えてきました。
ところがです。
残酷なのはカマキリさんだけではありませんでした。秋の味覚だと言って今年もそろそろサンマがおいしい季節になってきたかな。なんて思っている私だってカマキリさんと同じでした。秋だけではありません。春も夏も冬も、昨日も今日も明日も、命をいただいている私でした。ちゃんと感謝して食べれていないな。一日3食の食事をとるのは、自分が生きていく当然の権利のように食べていたな。食べるとは命を頂く、つまり命を食べさせていただいていたんだと、バッタさんの大切な命から、サンマの命を顧みることもなく、なんと安易にそろそろサンマがおいしいかななんて、傲慢な気持ちで毎日毎日食事をしていたなと反省しました。本願寺には、食前食後の言葉があります。子供が小さいうちは一緒に称えていましたが、子供が大きくなり、それぞれの生活スタイルで別々に孤食するようになるとおろそかになってしまいました。いま、改めて命を頂く尊さをかみしめたいと思います。バッタさんの命を無駄にしないために。もしかして、あのバッタさんは・・・。
食前の言葉
多くの命と皆さまのおかげにより、このご馳走を恵まれました。深くご恩を喜びありがたくいただきます。
食後の言葉
尊いお恵みをおいしく頂き益々ご恩報謝につとめます。おかげで、ごちそうさまでした。
善了寺 坊守
成田美砂