小豆島で生涯を終えた自由律俳句の俳人・尾崎放哉について、前回からの続きです。

この後半では、「ない」、「すてき」、「淋しい」、「弱っていく己」というテーマに分けてお届けします。

 

 

私が全句集を読んですごいなあと思ったのは、放哉が、何かが「ない」ことに注目して作った句がいくつもあることです。

提灯がともる空間に誰も「いない」、なんにも「ない」机の引き出しをあけてみる(けど中は勿論なんにもない)、蟻の穴から蟻が「出ない」ようになった、などなど。

えてして、なにかを創作しようとするときには、そのときに沸き上がった気持ちや、そこに展開されていること、見えている景色に注意が向くものだと思います。

「何にもない机の引き出しをあけてみるって、、だから何?」とツッコミを入れたくもなりますが、自分だったらその「ない」にフォーカスして句を作れるかな?と思うと、答えは否です。

「ある」の裏には多くの「ない」がある。

立身出世、故郷に錦を飾るという生き方を良しとする時代の重圧の中、厳格な父のもとで育ち、学歴と職歴を積み重ねた後に全てを手放した身になったという彼の人生を重ねると、質素な生活を送りながらも、彼が人生の最後に手にしたのは、静かに佇み、「ない」ことの余白を感じながら句を作る時間と空間だったのかな、という気がしました。

 

 

放哉の句は、俳句初心者には奇想天外に感じられるものが多いので、ついついツッコミを入れたくなったり、何それ?と首をかしげたくなったりするのですが、そんな中にも、素直に心に染み入る、すてきだなと感じる句がありました。

月の句は小豆島に来る前に詠んだものですが、最期を過ごした島の庵の小さな丸い窓からも時折月が見えていたようなので、きっとこんな月に照らされながら眠った夜もあったのでしょう。写真は今年の十五夜に、小豆島の海に浮かんだ満月です。

 

 

放哉の言う「淋しい」って一体何なのだろう?と、彼にまつわる本を読むごとに疑問がわいてきます。自らの意思で家族と離れ、自らの失態で職を失い、すべての財を自ら捨てて望んで入った身一つの暮らし。それなのに淋しいなんて、自業自得では?と思ってしまいますが、寒い季節や暗い夜にひたひたと迫る孤独感や寂寥を、こうなった原因はさておいて素直に句にするのも放哉らしさ、なのかもしれません。

厄介なのにどこか憎めない素直さが彼の魅力だなあ、と思います。淋しいときにとんぼが机にとまりにきてくれて、良かったね。

 

 

かねてより患っていた肺の病は日に日に重くなり、いよいよ痩せて弱っていく自分の体のことを刻々と鮮明に綴る視点は、記念館にあった直筆の「入庵食記」を読んでいてもとても痛々しいです。毎日の食事は焼き米と焼き豆、あとはせいぜい芋の粥。はたからみれば壮絶な日々ですが、そんな食生活を、彼は「(句を読むための)新しい生活様式」と時代を先取りしたかのような言葉で、ちょっとした実験かのように記しています。

周りの人から入院を勧められても、放哉は“この庵で自然と共に死ぬ、その願いをどうか叶えてくれ”と固辞して最期のときを迎えます。とはいえ現実はそう文学的に綺麗にはいきません。看取りの日々は近所の人やお寺の関係者、遠方にいる知人らによって支えられていました。

死の一週間前には、外国製の高級煙草を友人にねだり、至急送ってもらって満足げに紫煙をくゆらせています。亡くなった当日も、裏のおばあさんに買ってきてくれた木瓜の花のつぼみが開く様子を見ていたとか。毎日の下の世話をしたのも、危篤を知らせに走ったのも、このおばあさんだったそうです。「ひとり弱っていく己」を詠む沢山の句の裏に、彼の最期に関わった人々の存在を感じました。

 

 

 

尾崎放哉といえば必ず挙げられるこの有名な三つの句は、最後の小豆島時代に詠まれたものですが、彼の波乱万丈の人生をたどりながら時代ごとに俳句を追っていくと、エリートサラリーマン人生を下りてからは何度も何度も「咳」「一人」「海」「ない」というキーワードがでてきます。

病により命はそう長くない、それならば句以外は要らない、一人になりたい、慈愛の海の側にいたい、と繰り返し叫んでいるかのようです。

 

放哉なるもの、

今少し生まれるべからざりし時代と土地とに生まれ出で、

狂、盗、大愚とののしられ遂に夢のごとく去らんとす…

これもこういう時代の一個の産物なるべし

 

とは、死の数日前に俳句仲間に送った手紙に記された、彼の言葉です。

 

尾崎放哉の自由律俳句。誰の心にもしっくりくるお気に入りの一句がきっとあると思います。

秋の夜長に句集を読むと、コロナ禍で疲れた心に染み入るものがあります。

コロナが明けたら是非、小豆島の尾崎放哉記念館を訪ねてみてくだい。

彼が一体となりたいと願った小さな庵は、記念館のあるまさにその場所にかつて建っていました。

そこから見える海、山、空、吹き抜ける風の中で読む彼の句はまた格別のものです。

 

小豆島尾崎放哉記念館

 

参考文献

「決定版 尾崎放哉全句集」 伊藤完吾・小玉石水編 春秋社 

「尾崎放哉 随筆・書簡」 放哉文庫 春陽堂書店 

「放哉という男」 荻原井泉水 大法輪閣

「尾崎放哉 つぶやきが詩になるとき」 河出書房新社 

「放哉評伝」 村上護 俳句文庫 春陽堂書店

 

書き手・写真 :

喰代彩 (ほおじろあや)

横浜市出身、善了寺のデイサービス「還る家ともに」で介護士として働いていました。現在は小豆島にIターン移住して三年目、二児を育てながら島の暮らしについて書いています。