こんにちは。小豆島に来て三度めのお盆の季節を迎えました。

横浜で暮らしていた頃は、お盆は街から人がいなくなる時期という認識でした。

生まれ故郷へ帰省する人が多いので、通勤電車がいつもよりすいて道路を走る車も少なくなり、街中ががらんとしていたような記憶があります。

こちらに来て初めてのお盆の季節に、都市部に出た若い世代が子どもを連れて島の実家のじいちゃんばあちゃんに元気な顔を見せに来るという風景にふれました。

お盆はむしろいつもより活気があって賑わう時期なんだ、というのが新鮮な発見でした。

去年と今年は新型コロナの影響でその賑わいはあまりありませんが、

二年前の夏に、近所の年配のかたが「もうすぐ大阪から孫たちが帰ってくるんだ」といつもより嬉しそうな表情をしているのを見てから、お盆やお正月に若い人や子どもたちで賑わう島の風景というのもいいものだなと思いました。

来年以降、またいつものお盆の風景がみられることを願っています。

 

 

さて、この島に来てから、ご近所や知り合いから野菜や果物をおすそわけしていただく機会がとても多くなりました。 

トマト、きゅうり、なす、にんにく、ソラマメ、とうもろこし、カボチャといった畑の野菜はもちろん、お庭や畑ででとれたキウイ、みかん、すもも、レモン、栗、イチゴなど、温暖な土地柄、山の幸も豊富で一年を通してたくさんいただきます。

この夏も冷蔵庫の野菜室にはつねにいっぱいでした。

「きょうはだれのやさい?」と子供たちに聞かれるので、「このナスは○○さんからだよ。こっちのトマトは○○さんから」と伝えながらありがたくいただきました。

そんなおすそわけに対して、自分たちは畑をやっていないので、代わりにこれをどうぞとすぐにお渡しできるものは持っていません。

島にはない珍しいものが実家から送られてきたときなどにお返ししたり、次に会ったときにはなるべく「昨日のソラマメ、茹でたら美味しかったです」「ジャムにして朝食に出したら子供たちが喜んでたくさん食べました」といただいたあとのエピソードを伝えるようにしていますが、

それでもどこか「いただきっぱなし」という気持ちが残ることが多いです。

そんなとき、「いつもいただきっぱなしで、お返しもできずすみません」と言うと

「いえいえ、食べ助けですから、こちらこそありがとう」という言葉がよく返ってきます。

 

 

「食べ助け」って?

この「食べ助け(たべだすけ)」という言葉は、主に農作物を収穫した際に

「自分達だけでは余らせてダメにしてしまうから、食べてくれると助かるよ」

という意味で使われているようです。島に来てからは何かを頂くときによく耳にするようになりました。

意外にも、検索サイトで調べても正式な言葉の解説は見当たりませんでした。

電子国語辞典にもない言葉ですが、インスタグラムで「#食べ助け」、というキーワードで検索してみたところ、たくさんの食材の写真とともに食べ助けエピソードが投稿されていました。

それらを見るとどうやら全国各地で使われている言葉のようですが、小豆島在住の方の投稿も比較的多く見られました。

それぞれがこの言葉が持つ温かみに触れていて、いただいた物そのものよりも、そこにある人とのつながりにより豊かさを感じているようでした。

食べものを「差し出す」ことが助けになるのではなく、「受けとる」ことが助けになる、というこの言葉は、普段「食べ物はお金をかけて手に入れるもの」という意識でいると不思議にも思えます。

畑で収穫するまでに、苗や種、肥料を買うにもお金がかかるし、土を耕し水を撒き害虫を駆除し、天気に合わせて日々調整し、毎日毎日成長を見守る膨大な労力もかかっているはずです。

そんな日々を経て収穫されたものを頂くからには、その労力への感謝を示し、

やっぱりなにかお返しをしなければと思ってしまうのですが…。

 

しかし、「食べ助けだからこちらこそありがとう」という言葉からよくよく想像してみると、

それだけ大事に育てて収穫までこぎつけたからこそ、丹精こめて作った野菜がたくさん採れたときには、

美味しいうちに余すところなく食べてほしいという気持ちが湧いてくるのかもしれません。

 

そう考えるとこの言葉は相手に気を遣わせないという意味だけでなく

畑で野菜を育てている方の毎日の苦労と、それゆえの収穫物に対する愛情を感じることができます。

 

そんな気持ちも一緒にありがたく受けとり、美味しく調理して食卓にのせ

「美味しかったありがとう」と伝えることが一番大事なことなのかもしれないと感じています。