あっという間に予約がうまった今回の講演会は、上野さんのお話に胸をふくらませる人達でいっぱいになった。

100年前の麻袋をかたわらにお話になる上野さん。麻の今と昔をつなぐ人だ。

 

人生、何が起こるかわからない。

上野さんは、国際ジャーナリストを志していた。世界50カ国に足を運び大麻と出合った。そこで絶対ダメと思っていた大麻への見方が変わりはじめる。帰国後、大麻の栽培免許を取得した知人に賛同し従事する。

 

3年前の東日本大震災の年、大麻栽培を完全にあきらめ、のびのび子供を育てるため「森の幼稚園」のある鳥取県智頭町へ移住した。移住して1年もたたない時、畑にやってきた長老から、昔、智頭町が麻の産地だった話を聞く。長老に大麻栽培を勧められるが、栽培免許は簡単にとれるものではなく、その気になれない。そんな上野さんに長老は100年前の麻袋と麻ひもを手渡す。握らされた右手から上野さんの体内にビリビリと電流のような衝撃が走り、大麻栽培をやるスイッチが脳に入ったそうだ。翌日から取材に奔走していたという。

 

上野さんが意図しなくても、まるで必然のごとく大麻を栽培する流れがあったようだ。

町役場、町長、知事らを巻き込み産業用大麻栽培の免許がおりた。まさか自分が栽培することになるとは思ってもいなかったと上野さんは振り返る。智頭町で60年ぶりに日本古来の大麻栽培を復活させた。

 

上野さんの大麻栽培は昔ながらのやり方に徹している。枯葉と竹の粉を発酵させたものを蒔き、土の微生物を活かす。麻は、土に残留している毒、つまり化学肥料に含まれる硝酸体窒素を吸い上げてくれる特性があるそうだ。だから化学肥料を使うと本末転倒になる。だから使わない。さらに麻は、普通の植物と比較すると酸素を3〜4倍供給して空気を浄化する優れた植物だそうだ。

 

それではなぜ、大麻が危険とインプットされているのだろう。私が危険と思う大麻と、上野さんが栽培している大麻は同じなのだろうか。違うらしい。産業用大麻は麻薬成分がない。安心して大麻の魅力をひもとこう。

麻は衣食住すべてを兼ね備えた稀に見る植物である。麻袋は100年の月日を物ともせず、麻の実は抗酸化作用に優れ美味しい。麻炭は解毒効果が高い。また建材として蔵の土壁にスサを入れれば強度が変わり100年200年もつという。これはほんの一例にすぎない。

 

大麻のことは封印されたように知らないことばかりだが、日本は過去、大麻の国だった。伝統文化にかかせない存在だった。

言われてみればわかる。和太鼓、鼓、横綱のまわし。そして伊勢神宮では2700年間、ヌサという麻の繊維で、神事の払いをしているそうだ。また、お経を写し、次の世代へと伝えていく大切な役割を果たしたものも麻紙(まし)だった。

 

麻に秘められた可能性は果てしなく、環境を浄化し、人、企業、行政をも軌道修正させているかのようにみえる。

上野さんが住む智頭町は、自給の力を高め、移住者がつづいている。限界集落がエネルギーに満ちているという。

 

聞き手の辻信一氏が、智頭町の動きは「グローバルからローカルへ」転換していく世界史的な流れを先取りしたモデルだと教えてくれた。

 

可能性に満ちた産業用大麻のお話は、未来に光がさしたような講演会だった。

レポート スローデザイン研究会 加藤