日本の国技である相撲。土俵の外に出たら負けというこのシンプルなスポーツは、江戸時代でも町人の娯楽として、非常に高い人気を誇っていました。当時はどのように楽しまれていたのか、その様子を探ってみましょう。

相撲の様式やルールが整備された江戸時代

もともとは取っ組み合いや力比べなど、原始的な闘いから生まれた相撲。その起源は古く、古事記や日本書紀には野見宿禰と當麻蹶速による天覧勝負など、伝説と呼ばれる勝負の記述が残されています。また、平安時代には秋の収穫を祝う宮廷行事としての節会相撲や、五穀豊穣を祈る神社での奉納相撲が行われており、日本の文化と深く関わるものでした。

「勧進相撲」が発展のきっかけに

こうした相撲の様式が整備されたのは江戸時代のこと。戦国時代にはすでに行司が登場していましたが、それに加えて土俵入りの儀式や化粧回しなど、現代相撲にも見られる様式が次々と確立していきました。

江戸時代に相撲が大きく発展した理由はいくつかありますが、そのひとつとして考えられているのが「勧進相撲」です。お寺や神社を建立したり修理したりするため、境内で勧進相撲が行われるようになり、力士を職業とする人たちが出てきたのです。当初はまだ土俵がなく、人々の輪の中で行われるだけでしたが、江戸中期以降になると興行が行われるなど、しだいにルールが整備されるようになってきました。

相撲は歌舞伎や寄席と並ぶ、町民の娯楽だった

江戸時代の町人の娯楽といえば歌舞伎や寄席が思い出されますが、この相撲も立派な娯楽のひとつ。相撲の興行が定期的に行われるようになると、町人の間で爆発的な人気を誇るようになりました。

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庶民の娯楽「相撲」のお値段はいくら?

当時の座席は土間席と桟敷席に分かれており、元禄期の記録によるとその見物料は以下のようだったといいます。

  • 土間席 3匁(現代の価値でおよそ4,000円)
  • 桟敷席 43匁(現代の価値でおよそ57,333円)

同じく人気の高かった歌舞伎は、土間席で100文(現代の価値でおよそ2,000円、下席の場合)、桟敷席で25匁(現代の価値でおよそ33,333円)とされているため、比較すると少し贅沢な娯楽といったところでしょうか。ちなみに寄席は32文(現代の価値でおよそ640円)ほどで見ることができたため、現代で言う映画のような感覚であったことがうかがえます。

乱闘騒ぎはあたりまえ、相撲観戦は危険だった?

また、現代の相撲と大きく違うのは、女性の見物が許されていなかったこと。当時は見物客の間で口論がたえず、熱狂的なファンの間で乱闘騒ぎになることも珍しくありませんでした。そのため、女性がその場にいるのは危険だと判断されてのことだったとか。現代の人気スポーツでも判定をめぐって争いが生まれることを考えると、江戸の人々も現代人も、本質はそれほど変わらないのかもしれませんね。

江戸時代の最強力士は誰?

さて、こうなると気になってくるのが、江戸時代で最も強い力士が誰だったかということ。それぞれ時代も違うため簡単に比較することはできませんが、候補の一人として真っ先に名前が挙がるのはやはり、江戸時代後期の力士、雷電為衛門ではないでしょうか。

たった10回しか負けなかった名大関

江戸時代だけでなく現代まで含めて史上最強だと押す人もいるほどで、その生涯成績は254勝10敗2分(預かり14、無勝負5、休み41)というもの。現役生活21年の中で、たったの10敗しかしなかったというから驚くばかりです。

さらに、デビュー当初から関脇として土俵を踏んだり、強さのあまり雷電だけは「張り手、鉄砲、閂」を禁じ手とされたりするなど、その強さを伝える逸話にはいとまがありません。また、彼の姿を描いた数多くの浮世絵も残されており、人気も含めてまさに最強の力士であったことがうかがえます。

相撲の魅力は江戸時代から変わらない

現代の野球やサッカーのように多くのファンを持ち、江戸時代の町人を熱狂させていた相撲。その様式は江戸時代からほとんど変わっていないと言われており、当時の様子を忍ぶことができます。あなたも江戸町人の気分を味わいに、相撲観戦に出かけてみてはいかがでしょうか?

参考:

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