善了寺には、「ぼちぼち亭一門会」という落語会があります。住職も入っているのですが、実は、ぼちぼち亭が結成される以前から、僕は、落語にとってもひかれていました。私にそのきっかけをくれたのは、子ども家庭教育フォーラムの荻野ゆう子先生です。落語や歌舞伎をテーマにした人とひとがどのようにかかわってゆけばよいのか、カウンセリングの現場の体験から深い学びを頂きました。

住職が落語に出遇うきっかけになった落語です。

特に人情話は、人間関係が大きなテーマになっていますよね。現代の生活から考えると本当学ぶべきことがたくさんあるのだと思います。是非「文七元結」の記事を読んでいただきたい。荻野先生と一番初めに学んだ落語がこのお話でした。落語は、話す側として改めて古今亭菊千代師匠から学ばせて頂くと、話の世界と現実の世界を一緒にしない、むしろ、話の世界を皆さんとご一緒に生きることが大切だと感じています。そういった工夫が落語の中にはたくさんあるのです。枕から本編に入るときの羽織の扱いや、落語の出番の待ち方など、私はよく目線の位置を注意されます。とっても奥が深いんですよ。だからこそ、江戸時代から伝わる人とひとの関わりが多くの人の心に感動を与え、今日まで文化として語り継がれてきているのだと思います。

いのちと向き合う~覚悟を決める大切さ~

「文七元結」の話の中でも大好きなのが、吾妻橋のくだりです。身投げをしようとする文七に、左官の長兵衛さんは、娘が身を挺して工面してくれた50両を、いのちを助けるためにあげてしまうのです。このお話全体に流れていることだと思うのですが、腹をくくる。覚悟を決める。歌舞伎でいわれる「見得を切る」というあり方です。私は、ここに生まれる、見返りを求めない覚悟、いのちを救いたいという心意気に、こころ打たれるのです。ここには、私たちが見失ってしまった、「すべての物事はつながっている」という江戸の文化のあり方、生命観がみごとに生きているのだと思います。

覚悟を決めるからこそ~恩送りの経済をめざして~

「死んじまったらおしまい」という言葉は、損得ではありません。「一人で生きてきたのではありません」というつながりの中にご恩を頂くからこそ輝く言葉なのだと思います。橋から身を投げようとする人にもご両親があり、お世話になった仕事場があり、大きくなるまでに人間だけではない多くのご恩を頂いてきた、亡くなった先人のご恩を想えば、どれだけ、恩を送ってくれた多くの人が悲しむだろうか。それを、頭で勘定するのではなく、腹をくくる中に感じていく。それが50両を投げつけ、ひとを助けることを支えているのだと思います。

「恩送り」という言葉があります。

恩返しではなく、頂いたご恩を他の人に送っていく。与え続けていく中に世の中がまわっていく、それは、自分のものと所有する経済を超えていく一つの道筋ではないかと思います。但し、大切なのは、覚悟を決める事ではないでしょうか。今、私たちが覚悟を決めるよりどころをどこに持っているのでしょうか。忘れては決してならないのは、「すべてのいのちはつながっている」ということだと思います。落語の深い文化に共々に学んでいきましょう。

参考:

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