- 還る家「ともに」
- 2015年8月11日
孫じゃないけど祖母でした
デイサービスには、たくさんの出遇いと別れがあります。日々の「おはよう」「こんにちは」そして「さようななら、またね。」日暮そのものを大切にするからです。「今ここに共に居る事。」その大切さを気付かせてくれる大切な方のことを、お寺のデイサービス初代所長であり、住職の連れあいである、「坊守」(※(ぼうもり)と読みます。)のデイサービス新聞の記事からご紹介したいと思います。ちょっと話し言葉が多いのですが、そのまま掲載します。心を寄せながらお読みいただければさいわいです。
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塚越みさを さんが、往生されました。デイサービスを10年前の4月に開所し、その6月からのご利用でしたので、私の中の還る家は、文字通り、塚越さんとともに作り上げてきた10年でした。だから、私にとっては、特別な人の一人です。
自宅解放型でしたので、子ども達もすっかりなついて、運動会を見に来てくれたこともありました。「年寄りに重労働させんじゃないよ。まったく・・坊守はだらしがないんだから。」と言いながら、洗濯物たたんでやるから、持っておいでとか、窓ふきは私に任せてとか、「まったく、年寄りを車に乗っけるのに汚れてるでしょ」と言って、車の中に掃除機をかけてくれたっけ。塚越さんの「ちゃんとしなくちゃダメでしょ。まったく放っとけない。」は、いつも愛情がこもっていて、結局毎日、毎日、助けてくれるんです。職員に注意するときも、「あれで良かったかい?だけど、そもそも、あなたがちゃんとしないから、仕方のない坊守だねぇ。また、私に嫌な役回りさせたね。でも、私が言った方が良いだろ」「用事ばかりさせないで、何かゲームしようよ」と言って、カルタや百人一首やトランプもたくさんしたけど、ゲームでは勝たないと気がすまない。キャーキャー黄色い声で闘争心むき出し。「ここは、年寄りが集まる所なんだから、年寄りに遠慮しなさいよ」少女ならぬ、少年に戻・・。いつもこんな感じ。
だけど、見学者や撮影が来たときや自分が入院した先では、メチャメチャ私のことや、還る家のことを誉めちぎり、幸せだ、孫のようだと語ってくれていました。そして後から「誉めといたからね。あれでよかった?」の一言は忘れない。
そんな、塚越さんから学ぶことはたくさんありました。とにかく、新しいことに興味津々、前向きに取り組む。「私は町の娘だから、農業やったことない」と言いながらバケツ田植えに稲刈り、みそづくり、紅葉の種から芽を出して立派に育てたり…楽譜は読めないのにハーモニカはスルスル吹いちゃう…(あと5歳若かったら、iPhoneだって使いこなせたかも…。)そして、新入りさんに優しかったし、認知症や障害のある人にも愛情を持って接しておられました。そのくせ、自分の頼み事をするときは、可愛く「いいかい?悪いねぇ…」としおらしくたのんでくる。
大事な人を亡くすと、心に洞穴が空くんだ・・・。
お通夜とお葬式で、塚越さんは、愛する本当のお孫さんに囲まれていました。私は親族席には座れないけど、10年塚越さんと、たくさん笑いました。色々話しました。デイサービスの利用者でなく、デイサービスを立ち上げるために、私を助けてくれたばぁちゃんでした。塚越さんの顔を見て、1日側にいるだけで、安らぎました。
「ワタシだってね、そうそういつまでも生きられないでしょ、楽させてよ、先に待ってるよ、しっかりね。大丈夫よ。これからもいつもみてて、助けてやるよ。」というハリのある声が聞こえてきます。
でも、こんなにも、大きな穴が心にポッカリ空いています。大事な人を亡くすと、心に洞穴が空くんだということを、最後に教えてくれました。自宅で、大声で泣きわめいていたら、二男がお浄土で会えるよと、背中をなでてくれました。また、会えるんだと思うと、いくらか楽になります。もし、同じ世に生まれ変われるご縁があれば、今度こそ、一緒にデイサービスに通いたいです。親友として。だけど、ゲームでは、今度はいつも、負けてあげるね。孫として。