コロナ禍の中、こころからお見舞い申し上げます。私自身、毎日の報道に振り回されてしまいます。明日はどうなるだろう?そんな毎日の中で、みなさんに読んで頂きたいという願いを込めて、原稿に向き合うこのひとときが、有り難いです。自分自身を振り返る時間になっているからです。みなさんにとってもそんなひとときにこの記事がお役に立てれば幸いです。

暮らしを振り返ると、今、毎日のように天気予報が気になります。予報技術が追いつかない自然の猛威の中で、体感の中で育まれてきた季節感と現実のずれが大きくなって不安だからではないでしょうか?身体で感じる事ってとっても大事なことだと思います。当たり前の感覚がついていけないほどに、天候が変わってしまっている。だからこそ余計に、予報が気になりますよね。毎日、毎日、予報・予報・予報……。

そんな中で、体験のずれを補正しようとしていますが、知らない間に、暮らしの目線が前のめりになっているような気がするのです。

馬はとっても広い視野を持っています。でも、競争の時は、余計なものが視野に入らない為に、遮眼革(しゃがんかく)というものを装着するそうです。それは、馬の都合ではなく、人間の都合ですね。

 

私たちも無自覚に、視野を遮ることになれているのかもしれません。そんな時、視野を広げるという意味で、前のめりの反対、後ろ向きの意味があるのかもしれません。過去に学ぶ大切さ。でも、天気予報の過去の記録?あんまり暮らしの実感の中で語られないと思いませんか?以外と天気の話は良くしているのに、予報・予報になれているからこそ、振り返る事がないのかもしれません。

さて、そんな時、おすすめしたいのが、かなり距離をおいた過去を学ぶことだと思います。自分も周りのひともあまり実感がない天気・気候でも、お天気は、何となくいのちにつながっている体験だと思うのです。

予報に前のめりになる自分にちょっとブレーキをかけるために、是非、リンク先をお読みくいただき、江戸の二十四節気にふれてみてください。

秋の二十四節気とは 江戸っ子に学ぶ風流2

実は、8月に入るともう「立秋」です。梅雨明けが宣言されていない関東で、もう、「立秋」なんです。単なる江戸時代の感覚ということを超えて、体験の中で語りかけてくるものがありませんか?

私たちはこの地球に何をしてきたのだろうかと。