善了寺には、「還る家ともに」という通所介護事業所があります。今年で15周年をむかえました。

その還る家ともにでは、朝礼で「私たちのちかい」を、スタッフみんなでとなえています。「私たちのちかい」とは、ご門主が「念仏者としての生き方」として大事なところをまとめたものです(詳しくはこちらのページを御覧ください)。

「私たちのちかい」をとなえるようになったのは、還る家ともにへ通ってくださったあるおばあちゃんのご往生がご縁でした。そのおばあちゃんは、仏さまの教えを、とても大事にされていました。ですから、みんなでとなえることは、ご往生されたおばあちゃんの声として、また大切な方の導きとして、お師匠さまの声として、同時に聞いていることでもあると思っています。

「私たちのちかい」の一つをご紹介します。

「私たちのちかい」

自分の殻(から)に閉じこもることなく
穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

親鸞さまは、晩年に、『西方指南抄』というお書物を編まれます。そのお書物からあふれ出るのは、法然さまへの思いです。お師匠さまの法然聖人を、広大なる功徳をそなえ、人々を救うためにはたらかれる、仏さまの化身として受け止めておられました。法然さまの一言は、仏さまの一言でした。

法然さまの日暮らしのすべてが、仏さまの導きでした。親鸞さまは、いつも、法然さまのすべてを、疑うことなく聞き、日暮らしの中にうけとめ、仏さまの大慈悲を学ばれました。その学びとは、疑うことからの解放でした。

自分の殻(から)に閉じこもることなく 穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします

疑うことから解放される真実の言葉に出遇うと、自分が自分でいることを大切にしてくれる多くの同朋(とも)が、そばにいてくれたことに気づかされます。疑うことで、作りあげていた自分の殻(から)が打ち破られ、いつも、自分に向けられていた穏やかな顔と優しい言葉に気づかされるということがあります。人生のほんの一瞬の出遇いでも、相手の穏やかな顔と、優しい言葉を思い出し、感謝の想いが湧いてくる。わたしたちは、報恩感謝の思いから、その言葉を大切にする、ということと、味わうことができるのではないでしょうか

微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

親鸞さまは、84歳から88歳(1256年~1260年)にかけて、たくさんのお手紙を残しておられます。この時期は、古気象学という研究によって、気候変動が激しく、大飢饉がおこり、疫病がはやり、多くの方々が亡くなったことがわかります。親鸞聖人のお手紙にも記されています。

自分ではどうすることもできない、自然災害や疫病によって、大きな不安の中にある時、
顔がこわばりますよね。穏やかな言葉なんて出ませんよね。そんな、最中に大切な方々に贈られた手紙の中で、親鸞さまは、法然さまのお姿を伝えられます。

親鸞様のご消息(お手紙)から現代語訳でいただきます。

今は亡き法然上人が、「浄土の教えを仰ぐ人は、わが身の愚かさに気づいて往生するのである。」と仰せになっているのを確かにお聞きしましたし、何もわからない無知な人々が来るのをご覧になっては、「間違いなく往生するであろう」とほほえまれていたのを拝見しました。

(『浄土真宗聖典 親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』本願寺出版社刊 61頁)

法然さまは、『一百四十五箇条問答』という問答集の中でも、多くの庶民の方々との、ほほえましい会話が残されています。その書物からも感じますが、人々に向けられた、仏さまのほほえみ、真実の慈悲のはたらきは、孤独や不安から人々を救うのだと思います。

親鸞さまは、法然さまのその姿をまじかにみられていました。愚痴、無知のものこそ、抱きとるそのお姿を、仏さまの化身として、受け止めておられました。微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように・・・法然さまがともにおわします。今、親鸞さまが、私たちに語りかけてくださいます。

この大災害の時に、私たちは、疑いの中に、物理的にも、心理的にも、分断され、孤独と不安の中を生きなければなりません。こんな時だからこそ、仏さまが共におわします。疑いから解放する仏さまの真実の言葉に出遇い、仏さまの願いのままに、そのみ名を称えましょう。

法然さまがほほえみの中で、お導き下さり、その導きのままに、親鸞さまは、どんな時も法然さまの仰せを、仏さまの仰せと頂いて、そのままにみ名を称え、法然さまの人生そのものをとおして、仏さまのみ教えを聞いてゆかれました。

そして、今、私たちに一緒にこの道をゆこうとすすめてくださいます。
私たちが今、抱える不安と孤独の闇を打ち破る道は、必ずあります。
そして、その道を歩まれた方もすでにいるのです。

戸塚・善了寺住職 合掌