- 住職のつぶやき
- 2020年1月28日
「法事と食」
僕はお寺の暮らしが大好きです。なので、つい本を読んでいてもお寺の暮らしや、お寺での出来事に結び付けて考えてしまいます。この年末年始、、改めて、法事と食について考える1冊に出会いました。『ゴリラからの警告 「人間社会、ここがおかしい」』というゴリラ研究の世界的権威である山極寿一先生の本です。
僕の本の読み方のクセなのかもしれません。強引に結びつけているところもあるかも知れませんが、この本をご縁に、ご法事のときの食事について考えて見たいと思います。
山際先生のご専門は、霊長類学で人間に近い動物の生き方から人間の進化や文化を考える学問です。『ゴリラからの警告 「人間社会、ここがおかしい」』では、食について、こう書かれています。
人間以外のサルや類人猿(ゴリラやチンパンジー)を野生の生息地で追っていると、「生きる事は食べることだ」と思い知らされる。(中略)いつ、どこで、何を、どのように食べるかが、一日の大きな関心事である。群れをつくって暮らすサルたちにとっては、それに加えて「だれと食べるか」が重要となる。いっしょに食べる相手によって、自分がどのように、どのくらい食物に手を出せるかが変わるし、相手を選ばないと、食べたいものも食べられなくなってしまうからだ
山極 寿一 (2018) ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」 毎日新聞出版 p.18
強いサルは食物を独占し、他のサルに分けることはありません。そして、弱いサルは、エサを横取りされないように、広くて分散して「個食」をするというのです。彼らが食物を囲んで仲良く食事をする光景は決して見られないそうです。
食卓を囲んで、共に食事を楽しむ人間とは、反対の習性をもっているのです。
なぜ、人間はわざわざ時間をかけて共に食事をするのでしょうか?
この本を読んでいると、このような問いが浮かんできます。
それは、相手とじっくりと向かい合い、気持ちを通じ合せながら信頼関係を築くためであると私は思う。相手と競合しそうな食物をあえて間に置き、けんかをせずに平和な関係であることを前提にして、食べる行為を同調させることが大切なのだ。
同じ物をいっしょに食べることによって、ともに生きようとする実感がわいてくる。それが信頼する気持ち、共に歩もうとする気持ちを生みだすのだと思う。
山極 寿一 (2018) ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」 毎日新聞出版 p.17
法事の食事の場に生まれる、信頼や、共に歩もうとする心は、生きている者だけではなく、亡くなった方と共にこの人生を歩んで行こうという暮しをつくる力になるのだと思います。
こういった場面、場面の力をていねいに読みといていくことは、その根元をささえる、お念仏のみ教えに必ずつながっています。バラバラに捉えることによって、み教えにつながる道を見失っていないでしょうか?