2月8日、毎月恒例の定例会法話会がありました。
今月は、浄土真宗本願寺派 教覚寺 住職 南荘 宏 師 よりお取次ぎをいただきました。
親鸞聖人のご和讃に師が曲をつけられた『如来の作願をたづぬれば』と、同じく師が金子みすゞさんの詩に曲をつけられた「さびしいとき」を、生演奏で電子ピアノを弾いていただきながらの法話会でした。
苦悩する人生の只中、今ここで、阿弥陀如来様によって救われる安心を、親鸞聖人のご和讃から丁寧に説いてくださった後、音楽に合わせてさらに味わいながら皆で合唱させていただきました
霊長類学・人類学の山極寿一先生は、ご著書の中で以下のように述べられています。
「共食と音楽は、言葉が登場する以前から人間に備わった、類人猿にはほとんど見られない特徴である。これらのコミュニケーションによって発達したのが、他者を思いやる心の働きだ。音楽には、お母さんと赤ちゃんのように一体化して、世界を共有させる働きがある。それを、人間は言葉によって高めた。自分が体験していないことを言葉によって他者と分かち合い、多くの人と交流できるようになった。」(『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』山極寿一著 毎日新聞社刊 34頁~)
ご法話は、お取次ぎともいいなわしています。音楽と共に頂く御法話は、次の代その次の代を思い、様々な工夫を凝らしながら、御相続頂いた先人方の御恩を共々に味わう尊いご縁でした。本当にありがとうございました。御同朋と共に、ご法話を味わう。法味とも言い習わされてきた、お念仏の相続は、他者を思いやる共感のこころを育む尊いご縁であったと思いました。
本当にありがとうございました。