2019年大晦日、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。新年を迎えると、家族や親戚の集まりなどで、亡くなった方へ意識を向けることも多くなるかと思います。

12月5日に開催した東京工業大学の中島岳志先生の講演会のテーマは「死者の民主主義」でした。資料から引用させて頂きます。

若いころから私には一度も理解できないことが一つある。民主主義は、どういうわけか伝統と対立すると人は言う。どこからこんな考えが出てきたのか、それが私にはどうしても理解できぬのだ。伝統とは、民主主義を時間の軸に沿って昔に押し広げたものにほかならぬではないか。(略)何か孤立した記録、偶然に選ばれた記録を信用するのではなく、過去の平凡な人間共通の輿論を信用す―――それが伝統のはずである。

「伝統とは選挙権の時間的拡大と定義してよろしいのである。伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」(チェスタトン『正統とは何か』)

講演会のテーマにもなっていた「死者の民主主義」という言葉は、最後のチェスタトンからの引用文に出てきます。

「生きている者だけで、この世は成り立っているわけではない」のです。

 

政治学が専門の中島先生が「死者」についてのことや、宗教的な世界を語られているのを、意外に感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし私達は、余りにも、物事をバラバラに分科して専門家に任せる事に慣れてしまうことで、ともに学び、ともに考えていく自由を見失っていたのではないでしょうか。

新年は、お寺にお参りして、お仏壇とお墓をお掃除しながら、ゆっくり考えてみませんか。