- 住職のつぶやき
- 2019年6月20日
法事なのに誕生日?
お寺の住職は、ご法事のご縁にたくさんお会いします。ご法事というと「愛しい人との別れ」と向かいあう悲しいこと、と思われる方が多いかもしれません。
しかし、多くのみなさんと共にご縁を深めていくと、悲しみが悲しみだけでは終わらない。また、悲しみが、生死を超えて人とひとをつなぐご縁になることがあります。
生誕100年のご法要
先日、あるご家族から、おばあちゃんのご法事とご一緒に、おじいちゃんの生誕100年のご法要をお勤めしたいというご相談がありました。詳しいお話をお聞きすると、おばあちゃんの命日に、おじいちゃんの誕生日を祝うということでした。
命日と誕生日。世間の物差しで考えると、悲しみと喜びがごちゃ混ぜになって、本当にやっていいの?という感じですよね。
しかし「是非、お勤めしましょう」と、私はありがたく引き受けました。本当に素晴らしいことだと思いました。
なぜなら、浄土真宗のご法事は、「さよなら」を突きつける場所ではないからです。「生死を超えて共に生きる」。このように「いのち」を受けとめる「み教え」があります。
そして、そのみ教えが、わたしたちに、「決して、一人じゃない」と気づかせてくださる。それは阿弥陀如来様の他力のはたらきでもあります。こうして報恩感謝の心が恵まれるのです。
ご命日のご法事も生誕100年をお祝いすることも、み仏に恵まれた報恩感謝のこころからお勤めすれば良いのです。
報恩感謝の思いから勤めるご法事は、この世を生き抜く力になります。その姿は、きっと次の世代に、消えることのない灯火を伝えていくことでしょう。
実は西本願寺でも
そして、生誕をお祝いするご法事は、ご本山(西本願寺)でも行なわれているのです。
2023年(令和5年)には、親鸞聖人御誕生850年のご法要が西本願寺で行なわれます。こちらへもよろしければ、ぜひお参りください。
「お念仏、ありがとう、共に生きる力をいただいて」