- 住職のつぶやき
- 2019年5月14日
「濁った水がきれいになる宝の珠(たま)!」のたとえ話
戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。「朝のおつとめ」では、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。
曇鸞さま(中国の偉いお坊さん)の「阿弥陀如来無上の宝珠」という言葉を味わい親鸞さまは、『普通の玉は、濁った水の中に、入れても、その濁りは決して消えないけれども、み仏のはたらきを蓄えた無上の宝の珠は、濁った水の中に入れると、濁りは一気に無くなってしまう』といわれました。
これを聞き、「え~?どういう科学的根拠があるの~?」と疑うことが、自分の思い込みの世界ではありませんか?
「阿弥陀如来様の仰せを仰せのままに頂く世界を見失っていませんか?」というおたとえです。
「そんなものは理想論だ、現実的ではない」としか捉えられない私たち。
しかし、今、そのままの私に「無上の宝珠の名号(南無阿弥陀仏)」が恵まれている。阿弥陀如来様の限りのない功徳が恵まれ、苦を超える道がある。この道しかない。
私は、このように味わわせていただきました。
「朝のおつとめ」は、365日行なっています。1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。
文:横浜戸塚・善了寺 坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。