- 住職のつぶやき
- 2019年4月5日
「還る家ともに」の「還る」とは
戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。「朝のおつとめ」では、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。
「往生回向」という言葉があります。これは、阿弥陀如来様が私たちを救おうとされておる他力の大慈悲のおはたらきが、成就され、この迷いの凡夫が、そのまま阿弥陀如来様のはたらきによって浄土にまいらせていただき、浄土にまいったならば、同じ阿弥陀如来様の回向によって、この煩悩の身が悟りを頂いて仏となる世界が恵まれる、という意味です。
また「還相回向」という言葉があります。こちらは、阿弥陀如来様と同じ悟りを開くからこそ、ただちにこの娑婆に至り還ってきて、私とともにこの苦悩の日々を浄土へと、力強く歩んでくださる、という意味です。
この阿弥陀如来様の大きなおはたらきの中に、「南無阿弥陀仏」と、お念仏と出遇わせていただく。
そして、この苦悩を乗りこえてゆく確かなよりどころに常に立ち返ってゆく事の出来るのです。
阿弥陀如来様の平等の回向・大悲のはたらきによって、本当にかけがえのない人生を歩んでゆくのですよと、きちっと立ち返ってゆく事の出来る日々が恵まれてまいります。
すべて、他力(阿弥陀如来様)の大いなるはたらきの中に起こっていることです。
デイサービスの「還る家ともに」の「還る」は、還相回向の「還る」を大事にさせていただいて付けさせていただいた名前です。
大事な方が往生されるのは、阿弥陀如来様のおはたらきです。「南無阿弥陀仏」とそのままいただくばかりです。
全ての命を浄土に迎えとるとは、阿弥陀如来様の願いです。さわりなく、全ての命に至り届くのは、阿弥陀如来様のおはたらきであり、願いです。
阿弥陀如来様のおはたらきによって必ず、浄土にまいらせていただくのです。
還ったときに防犯カメラのように還ってくるのではありません。
「ともに」です。
仏さまとなりて、よろこびも悲しみも私とともにする。なつかしいあの人のお顔が、一緒に歩んできたあの人のお姿が、今もわたしたちに、大慈悲の光を差し込んでくださる。
これからもいつも一緒だと、言ってくださる。大事な方々のあたたかな慈悲の光として、私たちの日暮しを照らし守ってくださる。と味わってゆく世界が開かれてゆくのです。
このように味わわせていただきました。
「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。
文:
横浜・戸塚
善了寺 坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。