- 住職のつぶやき
- 2019年3月28日
東日本大震災追悼法要をご縁に
戸塚・善了寺では、東日本大震災から8年を迎えようとする2019年3月8日に「東日本大震災追悼法要」と「定例法話会」を行ないました。
その際の、住職からのお話をご紹介させていただきます。
今年は、東日本大震災から8年になります。心から哀悼の意を表します。
昨年は、7月に岡山、広島、愛媛などの地域で集中豪雨がありました。それ以外にも北海道胆振東部地震など、大きな地震が起きています。
まさに、平成に入ってから、多くの災害が発生しています。追悼法要というご法要を通しながら、私どもも、災害の現実を胸に刻みながら歩ませていただきたいと思います。
追悼とは、悲しみを粗末にしないということです。
震災当初、私に、東日本大震災への一歩を踏み出させてくださったのは、善了寺の門徒総代村井さんの一言でした。
「私が若かったら絶対に行く。住職はいかないのか?」
この一言に支えられ、支援物資をもって車で被災地に入りました。そこからが始まりです。
私たちは、皆様のお力をいただきながら、石巻に「よってがいん」というデイサービスの設立にご協力するご縁をいただきました。
毎年、落語会のボランティアで行かせていただいております。古今亭菊千代師匠をはじめ、戸塚の落語仲間である「ぼちぼち亭」のみなさんと共に、善了寺のご門徒のみなさん、明治学院大学の学生さん、本当にこの8年多くの仲間のご支援とご助力をいただきながら、続けています。
震災当初のころは、落語をやっても笑顔は出てきませんでした。しかし、最近だんだんと笑顔が出てくれるようになりました。そして、「善了寺にみんなで行きたい」と言ってくださるようになりました。
年にたった一度だけお会いする御縁です。それでも、本当にうれしかった。
何が届けられたのでしょうか……。ただ、ただ、人が共に寄りあう尊さを思わずにはおられません。ほんのわずかな救援物資を受け取ってくださり、ほんの数10分の落語にわらってくれる。
豪雨災害の時も、言葉にならない悲しみを抱えながら、懸命に私たちと向きあい、現場の作業のご指示をくださる。共にある現場にいく大切さが身に沁みます。
阿弥陀如来様の前で、営む追悼法要ですから、阿弥陀如来様の大慈悲をよりどころに、寄りあうことの尊さを思う時、大慈悲の光明の中に、生きているものだけで、この世は成り立っているわけではないということに気づかされます。
どうしても、前を向いて生きていくことが強調されてしまいます。悲しみが深すぎて、過去が止まったままになってしまう。声もかけられないことがたくさんありました。
それでも、なお、今の笑顔は、悲しみを断ち切ったからあるのではないのだと思います。断ち切ることのできない過去と共に生まれてくる、今、今、今……。
その今は、消費される今ではなく、未来を開き、過去を決めつない、誰にも代わることのできない尊厳をもった今なのだと思います。
念仏は、今、この私を救うために阿弥陀如来様が呼びかけてくださる。今を生きるものが、過去も未来も決めつけていいはずがない。三世が共に響きあい今を生かされていく。
南無阿弥陀仏とお念仏申させていただき、今年も3月11日をお迎えさせていただきました。今年も、石巻「よってがいん」のみなさんに会いに行きます。合掌
毎朝7時から行なっている「朝のおつとめ」でも住職から仏教についてのお話をさせていただいています。1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。どうぞお気軽にお越しください。
文:
横浜 戸塚・善了寺 坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。