戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。「朝のおつとめ」では、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。

阿弥陀如来様の人生のよりどころとして生きていくという事は、私たちの生きる中心(人生の柱)にすえて生きていくということです。

その人生の柱(よりどころ)になるという阿弥陀如来様の教えの、もっとも大事な事は、全ての命は平等であるという事です。

どんな命もかけがえのない人生であるという事です。

そしてもう一つは、暴力では何も解決しませんという事です。平等であるがゆえに非暴力なのです。

 

しかし、私たちは時代の流れの中で、平等であることも、暴力を使ってはいけないという事も、ものごとを他人ごとのようにに捉えてしまって理想論のように棚あげ上してしまいます。

人生のよりどころ(ここは、絶対はずしちゃいけない)になかなか立ち返ることができない。ここに私たちの苦悩があるのです。

 

平等を原点に考えると、バラバラな人生を歩んでいるように見えますが、環境問題も、経済問題、格差社会、南北問題にしても、命を共にしている存在ととえらえてゆく。

命を共にしていくととらえれば、他人ごとにするのではなく様々な世間のあり方を我がこととして捉えていくことがとても大事になってくるのです。

バラバラな人生と捉えると、ねたみやうらみがでてきます。

 

私たちの命の根底に据えておかなければならないのが、平等であり、非暴力であります。それをずっと、私たちに説き続けてくださっているのが阿弥陀如来様です。

 

自分だけお金が儲かるようにとか、良い思いをしたいお願いしても、決して叶えてくれません。それは、幸せにつながらないという事を知っているからです。

一つの命なのだから、誰か一人だけ良い思いをしていても苦しみを持っているという人がいるという事に気づかなかったら、本当の幸せは、やってこない。

 

解決策がないのではありません。平等と非暴力を日々の日暮の中にどうやって根付かせていくのか。

その大事なメッセージが、毎朝のお朝じ、仏事の一つ一つ、身近なところにある仏様にお参りをするという日本の文化でした。

 

このように味わわせていただきました。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:
横浜・戸塚
善了寺 坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。