戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。

親鸞聖人がおいでにならなかったらと、深く深く頂戴をさせていただきますと、今日こうして、ご一緒におまいりさせていただく、お育てをありがたいことだと感謝申し上げるばかりでございます。

 

比叡山延暦寺の根本中堂のお朝事にお参りさせていただくご縁を頂戴いたしました。密教、法華経、般若心経など、天台宗の色々なお経さまがあがりましたが、全くついていけず、まさに一行もなしえない我が身の中にあふれてまいりましたのが、『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』のお念仏でございました。

 

お念仏をいただく中に根本中堂の最澄様、法然様、親鸞様、浄土の祖師方、多くの先人方がここで学ばれて、そして私を今、『南無阿弥陀仏』と念仏を申させる身とお育ていただいてくださったんだと頂戴をさせていただくときに、全ての諸仏・諸菩薩が阿弥陀如来様のお徳を讃えられ、一行もなしえなかったこのわが身の上に『南無阿弥陀仏』と、念仏申し浄土に参る道があるぞと、阿弥陀如来様がお念仏となりて現れてくださって、ともにお朝事のご縁を下さった「ありがたいことだったな」と味わわせていただきました。

 

今日のお朝事も、僧侶とお参りされる方々と分け隔てなく、ご一緒にお念仏申し、正信偈をあげさせていただけるというのは、皆ともに御同朋御同行(浄土に参る仲間)とご一緒に歩ませていただくご縁をお伝えくださり、お育て下さった親鸞様の尊いお導きを思わずにはおれません。

同時に、蓮如様がみなとともにお念仏を申すんだ(難しいお経をお坊さんだけがあげるのではなく)と、みんなで、阿弥陀様のご恩、親鸞様のご恩をいただいていくんだよとお勧めを下さったお正信偈の尊さというものをまた、思わずにはおれません。

このように、私は、味わわせて、いただきました。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:
横浜・戸塚
善了寺 坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。