- 住職のつぶやき
- 2019年1月22日
「独り」ではなく「われら」
戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。
浄土真宗のみ教えをいただくお互いは お念仏を申す中に いつも独りではありません。「独りじゃないぞ」と、間違いのない念仏の道を歩ませていただきましょう。多くの諸仏諸菩薩や先人の皆様が、ともに寄り添い歩んでくださっています。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と、念仏のみ声となりて、阿弥陀如来様が「我にまかせよ。必ず救う。」と、およびかけくださるのです。ですから、独りでない、というみ教えなのです。
竜樹菩薩様は「生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし」と、「生と死」は人生の迷いそのもの、それは苦しみの海、広大だと説いてくださる。その私たちの迷いの日日を、楽しい時も苦しい時も煩悩に振り回されているわが身ですと、示されているのです。
「ひさしくしずめるわれらをば」と、浮かぶことのできない苦悩の真っただ中にある「われら」と、竜樹菩薩が私も同じですと語りかけてくださり、諸仏諸菩薩が語りかけてくださり、同時に親鸞聖人が自らのこととして語りかけてくださっているのです。
この世で誰にも打ち明けられないようなわが身の悩みを 阿弥陀如来様は、自らのこととして受け止めてくださる。
煩悩に満ち満ちた私の上にお念仏のみ教えがあふれ、念仏申させていただいている。浄土に参ることを間違いのないわが身と信ぜしめ、「南無阿弥陀仏」と、念仏申す私に育て上げ、必ず浄土に迎えとると、全て本願力回向の他力のはたらきです。
私が念仏申すことができるのも、疑い心が打ち破られていくのも、みな他力=阿弥陀如来様のはたらきです。
阿弥陀如来様の広大なる慈悲と智慧のはたらきに出遇わせていただく私たちは、どんな煩悩のあらしに吹き荒れる人生を送っていても、決して、独りではない。煩悩の苦悩に振り回されておる我らであったなぁと、「われら」と呼びかけてくださる竜樹菩薩様が、天神菩薩様が、諸仏諸菩薩が、親鸞様が お浄土に参られた多くの皆様がおられます。
この煩悩の日々の中に、阿弥陀如来様の広大無辺なる功徳が満ち満ちてくださっています。本当にもったいない。申し訳ない。煩悩に振り回されるむなしい人生でおわることはないのです。念仏申す浄土へ参る尊い人生なのです。
このように、私は、味わわせて、いただきました。
南無阿弥陀仏
「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。
文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。