戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。

「本願力にあいぬれば  むなしくすぐる人ぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」

「本願力にあう」とは「本願力回向」ととらえることができます。「本願」とは、阿弥陀如来様の願いです。「大無量寿経の48願の願い」の中の根本の願い第18願のことです。

「回向」とは、阿弥陀如来様の願いが私たちに間違いなく働いているという事をいいます。

お念仏を申させていただくという時にも、お経をあげさせていただくという時にも、仏事のご縁に合わせていただいているときには、「本願力回向」ということを、大切にいただきたい。

私の理解やはからいによって救われていくのではなく阿弥陀如来様のはたらきによって道が開かれてまいりますと、お示しを下さいます。

「むなしくすぐる人ぞなき(むなしく人生を送る人はありません) 」

たった一人で、煩悩の中に振り回されている日日は、楽しいことも、うれしいこともあるかもしれませんが、わが身の煩悩に振り回されていく人生のありようというものはやはり、苦悩の只中にあるのではないでしょうか?

事実を事実として見つめることのできない無明の中にあるお互いです。そこには、深い孤独の闇が広がってゆくかもしれない。そんな中にあって、「南無阿弥陀仏 我にまかせよ。必ず救うぞ」の阿弥陀如来様ははたらきかけてくださっている。

「功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」

煩悩を抱える私の日々の日暮しの中に南無阿弥陀仏とあらわれて、隅々にまで至り届いてくださる。むなしいと思っていたこの私の人生をむなしく終わらせないと 隅々にまで、み仏の知恵と慈悲の光が至り届いてくださる。

この人生の本当の意味合いというものを私に示してくださる。とらわれたら、決して逃れることができないどうしようもない罪深き私。この私の真っただ中に南無阿弥陀仏と、至り届いてくださる。

「どうかまかせてほしい。どうかこの阿弥陀と共に浄土への道を歩んでほしい 南無阿弥陀仏」と煩悩にさえぎられることなく私どもに至り届いてくださっていることです。

私は、このように味わわせていただきました。
南無阿弥陀仏

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。