- 住職のつぶやき
- 2018年10月15日
何度も何度も、聴かせていただきましょう。
戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。
自分で、これが浄土真宗の教えだと、わかったつもりになった人は
、わかった範囲しか聞こうとしないのでなかなか言葉が入ってきま せん。 そう言う聴き方は、そこで、聴聞が終わってしまいます。わ
かったつもりになって、自分のモノサシの中で苦しんでいるのです 。 阿弥陀様の慈悲のはたらきは、私たちの感性を越えているのです。 そこを超え、打ち破ってくださるのです。私たちはそのお慈悲をそ
のまま聞かせていただくのです。 何度も何度も、聴聞させていただき、自分自身が、少しずつお育て
にあってゆくのです。育たなければ救いません、という教えではあ りません。 私たちは阿弥陀様から、何度も何度も別の角度から、
様々な手立てで、必ず救うと願われているのです。 いつまで経っても、わからないと苦しむ必要はありません。何度も
何度もお聴かせいただいて、聴聞た立ち返る。 必ず救うと私たちに
はたらきかけてくださる阿弥陀様のはたらきによって、 必ず道は開かれて来るのです。 親鸞聖人は、阿弥陀様のみ心は、よろずの衆生を仏に成さんと思う
心だと、言われました。 お浄土に生まれて仏にならせていただき、
また、すべての迷える人々を仏にならしめてゆくことは、人生のよ りどころ、生きる道なのです。 しかし、仏の覚りの内容がわからな
い凡夫の枠ぐみの中では仏になりたいという心が生まれてきません 。仏になりたいという心は阿弥陀様のはたらきの中で恵まれてくる のです。 何度も何度も、聴かせていただきましょう。
このように、わたしは、味わわせていただきました。
「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。
文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。