- 住職のつぶやき
- 2018年9月24日
朝のおつとめのお話「あみださまの呼び声」
戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。
その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。
その時のお話を、ご紹介させていただきます。
私どもは、私の思議を越えた様々な条件と原因との関わりの中で生
きています。その中で怒り、ねたみ、 むさぼりの心にも出会ってゆきます。 それは、煩悩ウィルスを修行でポ
イと捨てられるようなものではありません。世間との関わりを切り捨て、 山奥に一人入れば、悟りが開けるのかと言ったらそんなことはないのです 。 我が身と関わってゆかねばならない。どんなに、清らかな心であ
りたいと願っていても、どんなに素晴らしい事をしていると思って いても、凡夫であるという私の身の事実から逃れることはできないのです。 そこに、気づかせてくださるのが、なもあみだぶつ。智恵の念仏
の光。関わりの中で、苦悩を受け続けてゆかねばなりません。。 そういった私が、今、ここに、本堂にお参りをさせていただき、共
々に念仏を申すお朝事を迎えさせていただくことができるのは、私 が立派だからではありません。 変わることのないあみださまのおはたらき
に、出遇わせていただくことによって、はじめて、参らせていただ いているのだと、改めて、大事にいただいてまいりたいことです。
私どもの苦を自らのこととしてうけとめながら、「煩悩に振り回さ れながら生きる人生は苦悩の中におるだけよ。だからこそ、私が、 灯火となりてあなたの人生を照らします。」と、 共に歩んでくださる。 だからこそ、怒ったまま、ねたんだまま、
むさぼったままで終わらないのです。 ズーッと怒り狂ったまま、
繰り返し続けるのは、苦悩です。「我にまかせよ。必ず救うぞ。 我にまかせよ。必ず救うぞ」のあみださまの呼び声が、 私の中に響いて下さる。 今日のお朝事も「あみださまのご本願なくしては、お参りできなか
った。先人の方々が、お浄土から、お戻りくださって一緒にお勤め くださっている」と、大事に頂戴してゆきましょう。
このように、私は、味あわせていただきました。
「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。
文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。