2017年11月11日「『しあわせの経済』世界フォーラム2017」が開催されました。その開催に際して、サティシュ・クマールさんが来日され、戸塚・善了寺へも訪問されました。

そしてサティシュ・クマールさんをお迎えしての「ゆっくり小学校 秋の特別授業」が辻信一さんから、開催されました。その際に、サティシュ・クマールさんが語り、辻信一さんが通訳した内容を書き起こしたものです。少し長くなるのですが、ご一読いただけますと幸いです。
(前回の書き起こしはコチラから)

さて、二日後に東京で大きな会が開かれますね。そのテーマは「ローカル」。ローカリゼーションということです。地域に戻ろう、ローカルであろうというのは非常に仏教的な教えなんです。人間の最も深い徳である、共感、コンパッションを発揮するのに、知らない人に共感することはとても難しい。だから隣人こそ大事。あなたのそばにいる。あなたがよく知っている隣人たちに対して共感することができるかどうか。

一方グローバル経済のエンジンは何かというと、貪欲さです。一方グローバル経済に対して、ローカル経済というのは、共感に基づくものです。シューマッハが、ブディスティックエコノミクスと言いましたよね。

仏教経済学。仏教と経済って一見相反ずるもののようですけど、ブッダの教えのように経済というものは、実は一緒に暮らしているコミュニティの人々。自分の友人たちの間で、いかにともに協力し合って支えあって時には依存しあって共に生きていく事ができるか。これが経済のもともとの意味なんです。その意味で経済というのは、ローカル経済こそが本質的なんです。

そして日本では、この寺院のような、お寺がコミュニティの中心にあった。そこに地域の人が集う。共に生きていく共感を分かち合う。ですから昔はコミュニティには必ず寺院があった。そしてその寺院がそのコミュニティの健全さを表していた。

そしてもちろん寺院に集まって、スピリチュアルな部分を共有するだけではありません。食べ物、衣食住すべての面に渡ってコミュニティというのはずっと自立的に何百年何千年の間営まれてきた。その意味でブッダの教え、そしてスピリチュアリティというのは私たちの日々の生活日常生活から切り離されたものではない。

仏教徒であるということは、仏教経済学者であって、仏教的農民であり、すべてにおいてブッダの教えを貫く。宗教と日々の暮らしが切り離されたところに大きな危機がある。

しかし現状はどうでしょう。スピリチュアリティとか宗教は、お寺や教会に任せておいて、そしてそれとは全く無関係なところで日常生活が進行する。こういう二元論。分離。それが現代の状況です。ですから宗教スピリチュアリティというものを解放しなければいけません。

そして今お寺とか教会だとか神社だとかに閉じ込められているものを、扉を開いて、私たちの日常の暮らしの中でもう一回取り戻していかなければならない。

(つづく)

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