戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。
その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。
その時のお話を、ご紹介させていただきます。

私たちは、生きていれば、必ず死を迎えていかなければなりません。でも、死は滅びでも、絶望でもありません。お浄土のことを「安心を養う」と書いて「安養(あんにょう)」 とも言います。

白井成允師は、幼い頃、お母様を亡くされ、『母を救わなければ、母を救うためにみ仏を信じ、み仏の教えを大切にしなければならない』と仏教を勉強して、立派な学者になられました。

ある時、中国にて、夕方の池に立つとき、ハッと気づかれたそうです。「『母を救わなければ、母のために』と学んできた仏教ではあったが、私がこうしてみ仏に手を合わすことができるのは、そうだ!母が仏縁となってくださっていたのではないか?私が救おうと思っていたが、逆に救われていた。今、まさに、母が私に手を合わさせてくださっているのではなかったか」と。

私たちの様々な苦悩をうけとめながら、いつでもどこでもどんな場合でも『我にまかせよ。必ず救うぞ』と働きかけてくださるみ仏の大慈悲が、安養の世界です。お慈悲の尊いかけがいのない一日が始まりました。共々に報恩感謝の思いから、一歩一歩あゆんで参りましょう。

と、わたしは、味わわせていただつきました。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。