先日、12月22日に10年目の冬至キャンドルナイトが、善了寺にて行われました。
辻ゼミの学生さんたちはじめ、、実行委員会のみなさんが中心になって、とつか宿駅前商店会のみなさん、近隣の方々のご協力をいただいて、とても素敵なキャンドルナイトでした。ありがとうございました。
あらためて、感じたのは、キャンドルナイトというムーブメントに育てられたお寺のあり方でした。
キャンドルナイトを冬至に行う意味
キャンドルナイトは、「電気を消してスローな夜を」というよびかけのもとで、100万人のキャンドルナイトとして2003年から始まりました。善了寺では2007年冬至から行なっています。どうして、冬至と夏至なのでしょう。100万人のキャンドルナイト呼びかけ人でもある、辻 信一先生は、「僕らの都合ではなく、自然のあり方にあわせて行う」のがキャンドルナイトなんだと教えてくれました。
私のスケジュールを中心にして、生活していると、生活が「日暮らし」であることを忘れてしまいます。日暮らしは、その字にあらわれているように、お日様と共にありますね。全世界共通して訪れる冬至もその日を境に、太陽と出会う時間が伸びていく日です。私の暮らしは、私だけで成り立っているのではありません。そんな当たり前を大事するのが、冬至と夏至を意識して行われるキャンドルナイトの意味でした。
お寺ってどんな場所なんだろう。仏さまがおわす場所の意味とはなんだろう。住職一人で考えるのではなく、また、生きているものの都合だけ考えるのではなく、仏さまがおわすこの場で、生と死を超えて、多くのいのちと共に考えていくことが大切なのだと思いました。
お寺はプラットホーム
今回のキャンドルナイトのトークテーマは「生老病死を取り戻す〜地域に、家庭に、自分に〜」というものでした。辻先生はじめ、ゲストに女優の杉田かおるさん、ピアニストのウォン・ウィンツァンさん、井戸端げんきの伊藤英樹さん、みなさん素敵なトークでした。
僕は、トークを聞きながら、このトークを紡ぐことがお寺の場の大切な意味かもしれないと思いました。素敵なトークだったのでなおのこと、キャンドルナイトは、イベント会場にいって行うものだと思ってしまいますよね。確かに、みんなで集まって学ぶこともたくさんあるのですが、実は、キャンドルナイトは暮らしの中に持ち帰っていただきたいという願いがあります。
誰かにイベントをしてもらうのではなく、みなさんの暮らしの中で、電気を消して、キャンドルを灯し、ひと時を過ごしていただくことが大切なのです。
それは、キャンドルナイトに気付かされたお寺の大事なあり方だと思っています。お寺はどこかで、非日常だと思われているのだと思います。確かに非日常的な面がたくさんあります。しかし、わかりやすく分けてしまうことで、関わることを割り切られてしまうのであれば、ちょっと悲しいのです。生死を粗末にしないのがお寺です。お寺と関わるのは、お葬式の時だけ、法事の時だけ?しかし、日暮らしの中に太陽がいつも一緒にいるように、私たちもいつも生老病死とともにあります。生と死も切っても切り離せない厳粛な生命の営みだからこそ、お寺は暮らしを大切にしたいのです。
お寺は、プラットホームのように、いつでもみなさんと繋がっている場でありたいと思っています。役割分担として割り切られるのではなく、プラットホームのように、いつでも線路で繋がっていて、いつでも訪れることができる。そして、お寺から暮らしにたくさん持ち帰っていただき、暮らしの中の背置きれない荷物もいつでも置きに来れる場所でありたいと思います。
キャドナルナイトは、暮らしをつくるムーブメントです。お寺の文化も暮らしを仏様を中心にみんなで、つくってきました。価値観をおしつける場所ではなく。仏様が、要になって多様ないのちの橋わたしをしてくださる。そこに、様々な出遇いに恵まれ、私が育てられていくそんな場所でありたいと思っています。
今年も1年ありがとうございました。来年も素敵な出遇いをたくさんつくっていきたいと思います。よろしくお願いします。