- 住職のつぶやき
- 2017年8月21日
お盆参りを終えて~死者との出遇いをとおして~
今年もおかげさまでお盆法要を勤めることができました。雨のお盆でしたね。
お盆は不思議ですね。この期間になると、日本全国で大移動が起こります。当然、仕事の都合、休みの都合もあるでしょう。しかし、それだけでは割り切れない不思議な現象だと思うのです。此の世は、たまたま生きているものだけで成り立っているわけではないと、生活の根底のところで感じているのではないでしょうか。それは、死と向きあうことが、今に影響していることの証ですね。
仏事はすべて、私たちが死と向きあうご縁です。それこそ、時代や価値観の変化によって様々な表現になっていますが、変わることがない仏事の本質です。特に、仏事は、他人ごとではないので、死と向き合うといっても、不安だったり、怖かったりします。死に対する私の解釈、価値観の限界、無力さを実感する場だからだと思います。では、考えなければよいのでしょうか。それでは、孤独の闇にのまれるだけです。先人の皆さまは、このお盆を通して死と向きあい、そして、それを仏事を通しながら、生きているものが、亡くなった人を切り離して抱え込む、孤独の闇を打ち破る大切な機会とされていきました。
私は親鸞さまに導かれながら、お盆のお参りをさせて頂きます。お念仏は、阿弥陀如来様のお呼び声です。死を目前にして無力な私に、「どうかまかせてください」と、阿弥陀如来様が他力のはたらきをもって、決して見捨てない関係を結んでくださいます。大切な人を喪失するのではなく、浄土に往生し、仏と生まれてゆかれた大切な方々として出遇い直していくご縁、それがお盆参りの大事な意味の一つだと思うのです。
私の都合によって、亡くなった方と出会うのではありません。お念仏をよりどころにしたお盆は、阿弥陀如来様の他力のはたらきによって、出遇わせて頂くのです。そこには、大切な方々と今ここで、死を超えて、共に歩み続ける日暮が恵まれてまいります。
20世紀のイギリスの思想家に、ギルバート・チェスタトンという方がいます。『正統とは何か』という論考の中で、「死者の民主主義」という主張をされています。有名な一文に
伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級に、つまり我らが祖先に、投票権を与えることを意味する。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今を生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどというのは生者の傲慢な寡頭政治以外のなにものでもない。
ギルバート・ケイス・チェスタートン. (1995年) 『正統とは何か』,春秋社.
お盆を通しながら、改めて出遇わせて頂いた言葉です。8月のお盆の後だからこそ改めて、謙虚に受け止めていきたい言葉だと思います。私は、お念仏をよりどころとするからこそ、先人を過去の人にしない、生死を超えて、今ともにあることを受け止め、共に、学びほどき、学び直し、歩んでいきたいと思います。
お彼岸があっという間にきそうですね。是非また、お寺にお参りください。