- 人・暮らし
- 2016年12月31日
江戸の商売上手に見る多様な働き方
いったん就職したら、定年まで会社に雇われて働くのが当たり前。私たちがこんな風に思うようになったのは、実はここ数十年のことに過ぎません。その昔、江戸時代の人は、いったいどんな仕事ぶりだったのでしょうか。そこから、働き方のヒントが見つかるかもしれません。
江戸の町に賑わいを添えた物売りたち
人口が増えるにつれて、江戸の消費生活も次第に拡大していきました。それを支えたのは多種多様な行商人たちです。
例えば、天秤棒を肩に担いだ「振売り(ふりうり)」は、商品の名前を呼びながら町を練り歩きます。あらゆる食品のほか、竹籠などの日用品、女性向けには櫛(くし)や口紅など化粧品を売り歩く人もいました。神社の境内や路上では、「立売り(たちうり)」と呼ばれる行商人が、所狭しと屋台を並べていました。天ぷら屋や蛤の焼売りなど、今ならさしずめファーストフードの売店といった趣。毎日が縁日のような賑わいだったのでしょう。
大きな商家の生まれでなくても、各自が才覚を発揮してさまざまな商売が営まれ、人々の暮らし、そして、町の景観を形作っていたのです。
江戸では誰もが「フリーター」!?
当時、まっとうな商人になるのは相当に狭き門でした。子どもの頃から商家に奉公に出され、つらい下積み生活を何年も重ねても、最終的に自分の店を出せる人はごくわずか。一部の優秀な人に限られていたといいます。
親方に弟子入りして修行を積んだ職人でさえ、独立後は今でいうフリーランスとして働くのが常でした。とくに大人になって農村部から町に入ってきた人は、日雇いのような形でさまざまな商売をしていたようです。つまり、江戸時代には「フリーター」が大勢いたのです。
「宵越しのカネ」を持たずに遊びに興じる江戸っ子らしさ
粋な遊びをよしとした江戸っ子は、たとえ収入が不安定でも、仕事に追われてばかりではいません。町民はもちろん、農閑期には農民さえも、さまざまな遊びに興じていたようです。とくに江戸中期以降は、歌舞伎や寄席など文化的な娯楽が増え、遊び先には事欠きませんでした。
町人の多くは長屋住まい。狭い上にお隣さんとの壁はペラペラで、プライバシーなどありません。お世辞にも快適とは言い難いのですが、その分、家賃が安いのがいいところ。ふつうの職人なら数日で賄えるほどでした。そのため、行商で日銭を稼げばなんとか楽しく暮らしていくことができたのです。
よく「江戸っ子は宵越しのカネは持たない」と言われますが、家賃が安くて娯楽が目白押しであれば、コツコツお金を貯めようという気持ちにならなくても不思議ではありません。生活できる分だけ稼ぎ、あとは好きなことをして過ごすのが、江戸っ子らしい働き方だったのです。
武士も内職に勤しんだそのわけは?
自分らしい働き方を工夫していたのは町人だけではありません。実は武士も同じでした。武士とは今でいう公務員。そんな武士の身分でさえ、安定が約束されていたわけではなかったのです。
中級以下の身分で家計の苦しい武士は、内職、つまり副業に活路を見出します。もっともポピュラーなのは傘張り。ほかにも提灯づくりや、つつじや朝顔など花の栽培をする武士もいました。内職から始まり、後に土地の名産となったものもあったそう。
給料を上げられない事情もあってか、幕府も見て見ぬふりだったそうです。近ごろは、社員に副業を認める企業が出てきている点も、思いのほか江戸と現在の労働環境には共通点があるのかもしれません。
安泰そうに思える武士でさえ、自分で知恵を絞って商売をしていた江戸時代。その創意工夫をヒントに、誰かに雇われるばかりでなく、自分の仕事を生み出してみてはどうでしょう。
自分が主人公になれる働き方を
組織に雇われるだけではなく、誰もが得意分野を生かして生計の糧を得ていた江戸時代。お金がないときだけ働くといった自由もありました。人生後半、人に雇われるのではなく、自分が主人公になれる働き方を模索してみるのもいいかもしれません。
参考:
- 『図説江戸(3)町屋と町人の暮らし』平井聖監修、学研
- 『図説江戸(7)江戸の仕事づくし』竹内誠監修、学研
- 『お江戸の武士の意外な生活事情』中江克己著、PHP研究所