- カフェ・デラ・テラ
- 2016年11月30日
【レポート】「死に向き合い、死を想う『スロー・デス・カフェ』~ポスト7・26シリーズ~」
関東甲信の各地で記録的に早い初雪となった24日、スローデス・ブラザース上野宗則、辻信一による「スロー・デス・カフェ」が、江戸研究者・建築家・社会活動家のアズビー・ブラウンさんをゲストにお迎えして開催されました。
上野さんからの「人間の死亡率は?」という問いに、ICU(集中治療室)のかたは「60%ぐらいでしょうか。。」と答えたそう。
人間は必ず死を迎えるのに。死亡率は間違いなく100%なのに。調査では、死について話したことがある日本の家族の割合は4.7%。実際はもっと少ないでしょうと上野さん。
人はどうにかして死を避けようとしている?
死を悪いもの、意味のないものとしてとらえている?
「死は怖いものだと思っていた。
でも生きていることは死に向かっていくこと。
死から目を背けることは、生からも目を背けることになると気付いた。」
イベントの前に開かれたゼミで上野さんのお話を聴いたゼミ生さんからの感想。
「死」とはなにか。
アズビーさん、辻さん、上野さんが体験された、身内のかたの死に向き合う時間。それまで出来ていたことが少しずつ出来なくなる姿を見る。それまで触れたことがなかった体にマッサージなどで触れる。何を考えているのか、悩みはないかと聞く。死について話す。
そんなことたちが、死への準備をさせる。それはゆっくり手放しできるスローなプロセス。
そして死への覚悟を共有することは、「あなたと生きていてよかった」「今共に生きられて嬉しい」という気持ちの共有になる。
つながりの中で、「わたし」だと思っていたけれど、「わたしたち」だったことに気づく。相手が亡くなったとしても、その関係性は変わらない。
わたしも大好きな「ベルリン天使の詩」という映画。天使が人間の女性に恋をして、堕天使として天から落ちて人間になることを決意する。人間になった途端、「痛い」「眠い」などそれまでなかった感覚を感じる。それまでは空間を超えられたのに、もう「今、ここ」にしかいられない。いろんな悪条件と思われることを引き受け、最後には死が待っている。それでも触れられる身体があることを彼は選択した。
生きるとは有限性を引き受けること。
死で人生は終わる。
しかしつながりは終わらない。
この日は蓄音機が持ち込まれ、ルイ・アームストロングの歌と演奏が深く響いていました。
カフェごはんは、焼きおにぎり、まぜごはんおにぎりと野菜の重ね煮スープ。ドリンクのアップルジンジャーで漬けていた材料で作ったパンケーキも!とても寒い日だったので、優しいお味であたたまりました。
今後のカフェ・デラ・テラのイベント
●12/9(金)「ザッツ(雑)イット〜ポスト7・26トークセッションシリーズ」ゲスト:高橋源一郎さん
●12/16(金) 「冬至キャンドルナイト〜美しいくに(ニッポン)って⁈」
ゲスト : C.W.ニコルさん、遠藤律子さん(ジャズピアニスト)
https://m.facebook.com/events/225291871235966
http://www.www.chadeau.com/16110603/
と続きます。
ぜひご一緒しましょう!