見する「ひらめき力」を鍛えよう

和歌の上の句(五・七・五)と下の句(七・七)を、2人以上が互いに作り合い、1つの詩にしていく「俳諧連歌」。鎌倉時代から江戸時代中期には庶民の間でも大流行し、みんなが趣味のひとつとして、気軽に連歌や俳諧を楽しんでいました。現代の俳句は、この連歌の冒頭にくる「発句」(五・七・五)がもとになっています。今回は、古くから庶民がたしなみ続けている俳句を取り上げて、日々の暮らしの魅力を再発見する「ひらめき力」の鍛え方をお話しします。

庶民の楽しんだ「俳句」の魅力とは?

俳句は、五・七・五という短い韻文に「季語」を入れるという最低限のルールを守れば、誰でも自由に作ることができます。気軽なものであると同時に、季節の移り変わりに対する情緒や日常の機微が凝縮された「世界で一番短い文学」でもあります。

四季折々の日本の美を伝える「季語」

春夏秋冬のうち、いずれかの季節を表す「季語」を入れるのは、俳句の特徴です。「季語がわからない」と思うかもしれませんが、そんなに難しいことではありません。実は私たちは、たくさんの季語に囲まれて暮らしています。例えば、春になれば雛祭りや花見を楽しみ、蕗の薹(ふきのとう)やたらの芽などの山菜、桜餅や草餅を食べますよね。これらは、みんな春の季語となります。このように、私たちは、俳句をたしなむことにより、季節に対する美意識を磨き、情緒を豊かにし、それらを言葉に置き換える「ひらめき力」を磨くことができるのです。

日常に「俳句を作る」という視点を持つ

「ひらめき力」を高めるには、日常生活において「俳句を作る」という視点を持つことです。そうすると、空や雲、月や星、道端の草木や花など、自分を囲んでいる自然から、ふだん見ているようで見ていなかったさまざまなものが見えてきます。

些細な変化に気づくことで世界が豊かになる

不思議なことに、日常のなかでふと立ち止まり、「今日は春立つ日だな」「水が温んできたな」「おぼろ月だな」「冷奴や冷酒が美味しくなってきたな」などと些細な変化を感じながら、暮らすようになるのです。雨が降った時も、ただ降ったというだけでなく、新年なら「お降り」、菜の花のころなら「菜種梅雨(なたねづゆ)」、夏には「五月雨」や「梅雨」、秋には「月の雨」、冬には「寒の雨」など、俳句の言葉で感じるようになります。「俳句を作る」という視点を持つまでは、たったワンパターンだった雨が、何種類ものバリエーションを持つようになることで、自分が認識する世界が豊かになっていきます。こうした発見の積み重ねが、日々の暮らしや四季折々の魅力に気づく「ひらめき力」アップにつながります。

想像と過去の体験が出会ったときに「ひらめき」が生まれる

名俳人として知られる松尾芭蕉に「さまざまの事おもひ出す桜かな」という句があります。おそらく芭蕉には、桜をめぐるさまざまな思い出があったのでしょう。その思い出を踏まえて、改めて桜を見た時に心に浮かんだ思いを詠んだのだと思われます。

俳人の黛まどか氏は、脳科学者の茂木健一郎氏との共著『俳句脳』において、この芭蕉の句を例に挙げながら、「俳句とは、ある題材に対して作り手の想像と過去の体験が出会ったときにひらめくものだ」と述べています。そのひらめきを生むには、日常生活における発見や気づきを積み重ね、豊富な体験をすることが重要です。思い出の引き出しがたくさんあると、想像や思いと結びついて、新しいアイデアや思考へと発展していくのです。

俳人になったつもりで日常観察から始めてみよう

このように、江戸時代から庶民が親しんできた俳諧連歌がもとになって生まれた俳句には、日々の暮らしの魅力を再発見する「ひらめき」を鍛える力があります。みなさんもぜひ、俳人になったつもりで、楽しみながら日常を観察することから、始めてみましょう。そのようにして立ち止まり、発見の積み重ねの日々を過ごすことで心が豊かになるのを感じることができるでしょう。

参考: