村と村の境や峠に構えられた、小さなお堂「茶堂」。そこは人々がふれあう交流の場として開かれ、時には先人から受け継がれてきた知恵を学び、時には異文化に刺激を受けて共感する場でもありました。

今回は、そんな日々の暮らしを潤すエッセンスがたくさん詰まった、日本伝統のコミュニティカフェ「茶堂」をのぞいてみましょう。

どこからでも上がれる小さなお堂

「茶堂」のはじまりについては諸説ありますが、初めは村の入り口に「悪霊払い」の目的で建てられ、その後に地区の人々の交流の場や、街道を通行する人たちの接待の場としても利用されるようになったようです。

毎年旧暦の7月、住民が交代でお堂に出てきて、午前9時ごろから日が暮れるまでお茶を沸かして通行人にふるまっていたことから、「茶堂」という呼び名がついたとも言われています。地域や時代によっては、「辻堂」や「お堂」とも呼ばれます。

茶堂の特徴は、何と言っても開放的な建築構造です。一間か二間四方の小さく簡素な建物で、正面と左右の三方が吹き抜けになっていて、板張りになった正面奥の一面に石仏が祀ってあります。祀られる石仏は弘法大師や地蔵、庚申像などさまざまですが、仕切りのない開放的な構造から、誰でも、どこからでもお堂へ上がれるのが特徴です。

地域コミュニティを支える多目的な空間

「茶堂」には、主に2つの役割がありました。そのひとつは、住民の集会所です。とりわけ「茶堂」が多いといわれる四国地方。そこでは、「茶堂」はおこもりの場であると同時に、日常的な寄り合いをしたり、酒宴を開いて親睦を深めたりする場として頻繁に活用されていました。また、雨乞いや盆踊りなどの年中行事の開催場としても使われるなど、いまで言う公民館やコミュニティセンターとして機能していたようです。

現在でも、愛媛県西予市城川町には集落ごとに50余りの茶堂が残っており、虫送りのような年中行事がここで行われているのだとか。お昼時になると、近所のお年寄りたちが弁当を持ち寄って楽しむ光景も見られます。

訪れる人を「お接待」でおもてなし

「茶堂」のもうひとつの役割は、来訪者との交流です。村と村の境や峠という立地条件から、「茶堂」には地域住民以外にも、行き来する周辺の人々をはじめ、商人や旅人が休憩がてら、ふらりと立ち寄りました。そしていつからか、地元の人たちが夏の間、持ち回りでお茶番を担当し、お堂を通る人をもてなす「お接待」がはじまったのです。

さきほど紹介した「茶堂」の多い愛媛県西予市城川町では、お堂ごとにお接待の特徴があり、大豆の煮物、梅干、らっきょう、米などさまざまなおもてなしがなされていたよう。当番制になっていたことからも、地域の中で「茶堂」が大きな役割を担っていたことが伺えます。

「茶堂」のほとんどが旧街道沿いに立っていたため、自動車道路が開通するにつれて徐々にその役割が薄れてきましたが、近年、自治体を中心にこれらを復興させる動きも。文化財に指定して建物を保護し、定期的に「お接待」のような行事が開かれています。

コミュニティカフェから始まる「スローライフ」

もともとは石仏が祀られ、身近な信仰の場としての役割を果たしていた茶堂。後には、この地を訪れる旅人たちをお茶やお菓子でもてなすようになり、信仰の場から交流の場へとその意味合いが広がっていきました。人間関係の希薄化や、地域コミュニティの衰退を憂う場面が多く見られる現代社会。誰もが気軽に立ち寄り、誰かと言葉を交わし、心も身体も休められる「茶堂」のような存在がいまこそ求められているのかもしれません。

 

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